さて、年末からデスマちっくで休みもあまりとってなかったので、
土日挟みまして5日間の休みをGETして帰郷して参りました。
帰りが楽になるように私の実家がある鹿児島から帰った後、
新幹線で嫁の実家がある福岡に帰るという手段で行きました。
いやぁ、九州新幹線開通でめちゃ近くなりましたね。
おぢさんが子供の頃は福岡に有明と新幹線ではないツバメ列車で4時間もしくは、
夜行で6時間かけて行ってましたから、1時間20分で着いちゃうのは衝撃です。
埼玉から羽田空港より早いっすわ・・。
毎年は帰郷しないので、帰郷のたびに町並みの変化を楽しんでいますが、
今回鹿児島はそんなに移動しなかったのもあって変化があまり見れなかったです。
実家はそういえば自分の学習机が無くなっていたかな。
特に何が入ってたわけでも無いと思うけども。
学生時代に心血を注いだ、へきるグッツは埃をかぶりながらも無事でしたw
福岡の方も挨拶周り中心だったので、そんなに出歩けなかったですが、
こちらは近所だけでも色々と変わってましたね。
唐人町商店街もちょろっと店が入れ替わってたし、
ウェストがペットホテル、カフェになってるし、
天神ビル?はTUTAYAって書いてあるし。
他にも色々あれ?って思う箇所がありましたわ。
挨拶周り以外では、妻の友人1人、自分の友人2人に会うことができました。
自分の友人の1人の鹿児島の友人は、高校時代から実に世話になっています。
母が借金をしてしまった時に返済のため私財を整理するのを手伝ってくれたり、
1人暮らし始める時も一緒に来てくれたし、結婚式にも挨拶をしてくれました。
とんでもない挨拶をされましたがww
しかしまぁ、僕は彼の学生時代に悪い遊びを教え、
間違いなく悪影響を与えた気がするのでお互い様ですね。
今回も実家から閉め出された僕の為に、翌日仕事であるにも関わらず、
車中泊させてしまいました。ほんとすんません。
福岡では、カラオケ仲間、Dir仲間であった凌くんと会うことができました。
無理矢理自分が初めて1人暮らしを開始したマンションを紹介しました。
凌君的にはかなりどうでも良いところだったかと思います。でも僕は満足ですw
マンション周辺はそんなに変わってなかったし、
マンションも当時からそんなに老朽化したイメージはなかったです。
お上りさんがまんまと今泉という福岡では高い土地に住まされたんですよね。
1K 42,000とかじゃなかったかな・・。
時間があれば、良く通った赤坂サニー(地場スーパー)も見たかったw
あと別行動中の妻から呼び出しがあるまで、ということでカラオケに行きました。
彼は相変わらず激しいのがお好きみたいで、SiM、Fear, and Loathing in Las Vegas、
MAN WITH A MISSIONを披露してくれました。
僕はもうカラオケほとんど行かなくなってしまいましたが、
彼のグロウル、ホイッスルは更なる成長を遂げており、
おじさんは憧れの眼差しで見ておりましたよ。うん。
つぶやきに反応してくださったリョコさん会えずに残念でした。
そのほか電凸された人、ごめんなさい。
九州アニソン界隈の人にも会いたかったなぁ。また機会があれば。
今回の旅は、表題の通り、変わってゆく町並みを楽しむ旅でもありましたが、
家族や周辺環境の変化を特に感じた旅になりました。
自分の周辺では・・
甥が息子にプレゼントを買うほど、心豊に育っていました。
姪は生まれたばかりですが、しっかりと育っている様です。
母は少し老いを感じましたが、糖尿病を治し、まだまだ健在といった感じ。
妹はストレスフルに生きてそうで少し心配です。
愛猫は、昔より軽く感じましたが、まだ健康そう。かなり爺のはずですが。
弟はそういえば福岡だったけど連絡しなかったや。忘れてたwww
祖母は、まだ健康そうでしたが、片目が潰れており、齢87になります。
叔母は、まだまだ元気そうでした。一番元気に見えたかな。
叔父は、孫(従兄弟の子供)にデレデレで、ビデオをたくさん見せてきましたw
叔父の奥さんは、とてもハツラツとした人でしたが、若くしてリュウマチを煩い、
手にサポーターをして痛々しかったです。
妻の周辺では・・
父は胆石を取りましたが、まだ健康そうでした。
鹿児島の叔父からのプレゼントがレアもの芋焼酎だったけど良かったのかな。
母は相変わらず飄々とした感じで、風邪を召されてましたが、まだ健康そうでした。
叔父は相変わらず独身貴族でマイペース、自由で健康といった印象。
今回の旅でショックだったのは、妻の愛犬と、祖母で。
同様の日記を妻もあげていました。
妻の愛猫は、息子が生まれる少し前に亡くなっていました。
母体への影響を考え、この事実は伏せられており、
息子が生まれた後に知ることになります。
スカーフを巻いて凛々しく(臆病な猫ですが)
妻の携帯の待ち受けになっていたのを思い出します。
妻の愛犬は、この猫と暮らしていたこともあり、猫が好きなのか、
大濠公園という湖を有する福岡のでかい公園(周回2.5kmくらい?)に
散歩に連れて行くと、よく猫を探し追いかけ回していました。
そんな彼も老いには勝てず、今は寝たきりで吠える力もあまり無いといった感じに。
私たちが実家に帰ると吠えながら一番に出迎えにくる元気な犬だったのですが、
片目も見えなくなっていて、明らかに終わりが近づいてることが分かり、
私は抑えきれず泣いてしまいました。
妻は私が泣いていたことに気づかなかったそうですが、
妻の母には見られてしまったかもしれません。。
残念なことですが、下手をするともう彼には会えないかもしれません。
妻と付き合い初めの頃に飼われた犬で、それこそ手のひらサイズのときから知っていて、
初デートにも、彼が一緒だったので、我がことのように心が痛いですが、
妻は更に深い悲しみを感じていることでしょう。
さらに、福祉施設に預けられている祖母にも面会してきたのですが、
こちらも老いが感じられました。
齢94になるとのことですから、当然といえば当然なのかもしれません。
移動は車椅子で、言葉も発することが難しくなっていたようで、
私のことを昔のように「洋さん」と呼んではくれませんでした。
妻も名前では呼んで貰えなかったことがショックだったようです。
ボケているわけではないと思うのですが、コチラの言葉は解していて、
聞き取りにくいですが、幾らかの会話もできました。
今回無理めのスケジュールですが曾孫の顔を見せることができて良かったです。
祖母とは、私が妻と剣道をしている頃、道場に行く前に
剣道の師である叔父がいる祖母の家に訪れ、良くご飯を馳走になっていました。
私は少し潔癖性なので、歳をとると億劫になるのか気にしなくなるのか、
見えなくなるのか分かりませんが、ちょっと汚れた器や、
賞味期限の分からない食べ物が苦手だったので、少し避けていた傾向がありまして、
もっと多く通っておくべきだったと、とても後悔しています。
私も妻もお互い冗談半分で互いの老いた点を指摘することがありますが、
終わりは少しずつ着実にやってくるのだと再確認しました。
つい1年前、友人の死を見たのに。
つい3年前死の危険を感じたのに。
死についてどこかまた他人事になっていました。
これはきっと心を壊さない為に重要なことなのです。
忘れなければ、怖くて、悲しくて、不安で、生きていけない。
でもどこか一生懸命さを忘れてしまっていた気がします。
幸いなことに環境は私を強制的に一生懸命にさせてくれていますが。
(仕事多忙杉な意味で)
後半湿っぽい日記になってしまいましたが、
息子が今日で1歳になりました。
大きな怪我もなく、病気はまったくせず、親孝行に育ってくれています。
次の世代に繋ぐ為に、今は特に踏ん張りどころで、
これから訪れる幾多の悲しみに立ち向かい、彼を1人前にしなくてはと思いました。
さてさて末筆となりましたが、皆様の健康心よりお祈り申し上げます。
健康であれば、再びお会いすることもあるでしょう。
こういう日記書くのフラグ立てみたいで嫌いですが、たまには。ね!
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